奈良県の北部のほぼ京都府と大阪府の県境に近い所で育ってきた筆者にとって、十津川村は奈良県の地域でも特殊な場所としての観念があります。
叔母や叔父からは安易にいけるような所ではないと、子供の頃に教えられていました。
車の免許を取得した18歳の頃にも、奈良県の吉野には行ってはいけないとよく言われたものです。
滅多に赴くことのない地区なので叔母も昭和初期の頃の吉野道の印象が強く、そこで時間が止まっていたのでしょう。

2017年現在、奈良県北部から直接十津川村へと赴くことが出来る道路は未だ1本のみ。
国道168号線です。
所々一車線区間が残るところがありますが、ほぼ二車線道路であり紀伊半島の道路の中でも整備配慮が適切に届いている道路です。
今でこそ奈良県北部から車で2時間程でたどり着くことが出来ますが、遥か上代から昭和後期まで隔絶の地として十津川村への道は無いに等しいかったようです。
歴史を紐解くと、奈良県でも十津川村だけは特別な政治的干渉を受けていました。
余りにも険しく奥地にあるので、赴くだけでも想像を絶するほど困難な道のりのため免税の地として定められていました。
司馬遼太郎氏の「十津川街道」によると、五条までの道のり全線が獣道であったとされています。
幕末で天誅組で活躍した十津川郷士も気の遠くなる距離の獣道をかき分けて大和盆地へと入り京へ赴いたのです。

本記事は、奈良盆地から遠く離れた十津川村の中でも日本の原風景を保つ果無集落を取り上げたいと思います。

熊野古道「小辺路」果無集落 今なお残る日本の原風景。

2017年8月31日。
8月の最終日の奈良県の天候は、雲一つ無く、鮮やかな紺碧の青空が広がっています。
蝉の鳴き声も四方から聞こえています。
目指す所は、奈良県十津川村の果無集落。
国道からひっそりと枝分かれした目立たぬ小道を登りきると集落があります。
国道から隠れるように入り口があるので、気づかずに通り過ぎる人が多々あるとか。
坂を10分ほど登るとバス停が見えました。
世界遺産と書いています。
目的地の果無集落に到着です。

生彩に満ちた農作物と植物が紺碧の青空に向かって気持ち良さそうに伸びています。
鳥の鳴き声と清冽な水が民家からチョロチョロと流れる音がします。
十津川村を取り囲む急峻な山塊の世界がどこかに飛び去ったかのような長閑で温もりのある空間が広がっています。

世界遺産の石碑の横にある小辺路へと向かいますが、平日のため人の気配は全くしません。
歩みを勧めると集落に住むおじいさん一人だけおられました。
この時、左右から初秋らしい花の香りが揺れるように近づいてきたことを覚えています。
秋の訪れを感じる一つの要素ですね。

さらに下ると、左右に民家が見えてきました。
風鈴がリンリンと元気よく最後の夏日にひと仕事しています。
民家の間から見える広々とした畑の景色と風鈴の音に包まれた時間を過ごしたくなり縁側に腰をおろしました。
チョロチョロと目の前で水が流れています。
秋の始まりを告げる緑色の栗の毬が水の上を上下に揺らされながら浮かんでいます。
意識的に何も考えずに、ただ今いる時間の中にある景色や物を見て自然と心から出てくる感情に身を任せていました。
素直に今の空間に生きているだけ。
あれが欲しいとか目標を達成するなどの意気込みなど全てほっぽり出しています。

腰をあげて、更に下ると稲畑が広がっています。
稲の上を無数のトンボが遊んでいます。
トンボの音が聞こえてきそうな雰囲気。
夏の快晴の空の下を人工的な音は何一つしていないのですが、無音ではない。
自然の柔らかな音が聞こえ、また聞こえてます。
こればかりは言葉で表現するのに難儀します。
抽象的にならざるおえません。
実際にトンボが飛んでいる音は聞こえていないのだけど、聞こえているような錯覚に陥る景観の中に立っているのです。
明治維新が訪れる前の日本の地方の雰囲気はこのように自然の音が広がっていたのだろうと感懐を抱き、佇んでいます。

同じ奈良県でも奈良盆地や平群盆地から120kmも離れている十津川村。
十津川村には奈良盆地とはまた違った駘蕩とした田舎の空間が広がっています。

奈良県の十津川村へと赴くのは現段階でも大変かもしれません。
国道168号線が整備されているとは言え、距離が長くカーブも多く、コンビニ、スーパーマーケットは一切なく、到着した頃には疲れているかもしれません。
ただ、今回私が取り上げたように都市での日常生活では決して体感することのできない世界に出会うことができますから時間をかけて赴く価値はあるかと思います。

奈良県へ車で観光する予定があれば奈良市だけでなく十津川村や吉野の方へ足を伸ばしてみてもいいでしょう。
きっと奈良県の印象が随分と変わるはずです。