関西人が秩父と聞くと何を思うのでしょう。
主観的な意見ですが、関東のほとんどの人々が大阪府の千早赤阪村を知らないのと同じようにそもそも、関東地方の田舎に関して話題にすることがありませんから具体的な内容が返ってくることは稀なのではないでしょうか。
わたしは、何を思ったのでしょう。
正直な所、ほとんど何も思い浮かびませんでした。
事実かどうかもわからずに、ほんの微かに思い浮かんだのは秩父といった地名を走るSLがあったかどうかぐらいです。
埼玉県内の地名であるということも知らなかったのです。
わたしの埼玉県の印象は東京とのベッドタウンとしての印象が強烈で、まさかこのような大自然があるなどと夢にも思っていませんでした。

秩父をよく知らないのに、秩父市街地ではなくさらに奥に潜む奥秩父へと初めて訪れたのは今年の2月中旬でした。
冬の山梨県側の140号線から雁坂トンネルを潜ってこの地へと到達したのです。
なぜ、この地へと訪れてみたくなったのでしょうか。
それは、有料道路である雁坂みちの存在が気になったからでした。
奥多摩の北側に位置する道路で、なぜ奥多摩町から直接秩父へと通じることが出来ないでいるのか。
秩父と奥多摩の間には道路らしい道路が地図にはありません。
奥多摩の北側に位置する一本の雁坂みちを取り囲む自然環境がどのようなものなのか。関心が強まったのです。

冬の雁坂みちへ到達するまでの印象は鮮明に残っています。
甲州市を北上し、数台の車が前を走っていましたが、高度を上げて雁坂トンネルへと近づく度に車が前方から消えていき、路肩の残雪、ところどころ山肌に雪化粧をした山の景色が現れ、山の色は冬色、広瀬湖の湖面は波紋状に凍りついており、辺り一面全てが荒涼とした感じがあったことを覚えています。

山梨県側を登りきり、大きなカーブを描いた橋を渡りきると雁坂トンネルが待ち構えています。
直線約7000mの長大直線トンネルです。
約10分間は直線の時間です。
前方がトンネルの天井に向かっていることから、道路がやや湾曲していると感じられます。
山梨県から秩父へと抜けるにはこの雁坂トンネルを使わずにはいられないでしょう。
雁坂トンネルを使わなければ、奥多摩町を経由し、青梅市、山伏峠、最後に大渋滞の国道299号線を通り秩父へ入ります。
このような面倒な経路を省略したのがこのトンネルでしょう。

長大な直線をもつ雁坂トンネルをくぐり抜けると前方に見上げるような大きな山々に囲まれます。
見渡す限り全て山。道路と山以外何もありません。
紀伊半島を知るものとして、このような大山塊の中に国道を通すことは新鮮な気持ちで驚くことではありませんでしたが、当時、道路を切り開いた人々の様子が頭の中で想像の世界で動き出しました。

このときは冬季であったため、山塊に走る山道が通行止めの状態の季節です。
半年後の8月、再びこの地にやってきました。
冬季通行止めの道も開放されおり、奥秩父の探索も有意義になる時期です。
冬季通行止め道路も、奥秩父を流れる主要道路もどこにあるのか調査をして挑みました。
本記事は、夏の奥秩父の山道を探索し、それぞれの道路で体験した内容が綴られています。

彩甲斐街道 雷電廿六木橋

通称ループ橋の雷電廿六木橋は、奥秩父にある巨大人口建築物の一つで多くのバイクツーリンググループがここを通過し、山梨や埼玉へと下ります。
以前、廿六木橋の上に位置するダムと対面するところで四方を見渡してみたことがあります。
冬の寒風が吹いており、周りの山々の色は寒色で高さ100m程に位置する大空間の中、前方には巨大なダム、左右には大きな山が迫っています。立ち竦むことを超越して、本能的に自然の圧力に耐えることができずに見を屈めたことをはっきりと覚えています。
誇張気味に例えるとすると、木星の広大な大地の大空間に乱風が吹き荒れるようなところに立っているかのような印象でしょうか。
宙高く浮きながら大自然と立ち向かってるといえば分かりやすいのかもしれません。
豪雨の中ここに佇む勇気は出ません。
恐ろしくて、想像までに留めておきたいところです。

この体験から半年が経ち、夏の暖色が感じられる時期です。
冬の橋を切り抜ける風切音はありません。山の色も深緑に色づいています。
冬の印象は消え、穏やかな時間が流れています。
季節が違うだけでこれほど印象が違ったものになるのかと改めて感心させられます。
10分ほど経過した時でしょうか、霧雨が発生しました。
少しばかり景観が白くなり、やがて小雨へと変化し、ダムのコンクリートの色がやや黒みを帯びてきたことを覚えています。
巨大なものが黒く変化することほど悍ましいものはありません。
雨の勢いも増してきているので次の目的地であるダムの天端へと向かうことにします。

国道140号線 3つのR140

新道、旧道、旧道と3つの同じ番号をした国道が横に並行するように並ぶことは見たことがありません。
奥秩父に流れている国道140号線(以下、R140)の歴史は、雁坂トンネルが開通する以前と以後で随分と変わったようです。
歴史の詳細はここでは論じずに、3つの国道それぞれの特徴を実際の体験を元に書いていきます。

新道と旧道2つは大きな山を1つ隔てて位置しています。
地図を見た限りではすぐ近くにあるように感じられましたが、実際に走ってみると滝沢ダムから旧道の入り口まで20分ほど要したことを記憶しています。
新道と旧道とでは、やはりどこへ赴いても道路の規格も性格も別物です。
新道は埼玉と山梨の主要往還路として活用されていますから市街地と変わらぬ規格の高い国道の姿をしています。
この新道ですが、1つ興味深いことを後々気付かされることになるのです。
今回の奥秩父探索で見逃してしまった道があったのです。
ここ新道から枝分かれしている県道210号線で、山吹トンネル、八丁峠といった北奥秩父のエリアへ通じているのです。
ただ、山吹トンネルの埼玉側は通行できるのかどうかも怪しげな道であるため実際に走行できたのかどうかもわかりません。
この県道以外においては、湖を隔てた対岸にある道路が気になりつつも、特筆するほどの特徴が感じられない程至って普通の道路と感じられます。

ここからは旧道のお話しになります。
奥秩父の旧道入り口。
仄かに立ち入ろうとするものに対して警告を促している雰囲気を感じとることが出来ます。あからさまにとんでもない酷道がこの先待ち受けている様な警告は出していません。

今回は旧道が2つありますから、まずは山肌の中腹を走る旧道(以下、中腹旧道)から書いていきます。
中腹旧道は、栃本関所跡や、日本の道100選の中に組み込まれていますから道路自体は整備が行き届いていないところは見受けられません。
ただ、二瀬ダムに到達するまではセンターラインはなく1車線か1.5車線が基本の道路です。
集落もありますし、関所もあることから交通量は少なからずあります。
急峻な山肌の中腹沿いに流れている道路のため下界の様子を見下ろすことが出来ますが、生い茂る木々に阻まれて更に山肌の下腹を流れている旧140号線の姿(以下、下腹旧道)がなかなか確認することが出来ません。
中腹旧道から下腹旧道の風貌を見下ろすことが叶うのは、栃本関所からまだまだ東へと進んだ所です。

東に進むに連れて、鬱蒼として薄暗い秘境ならではの森林の中を走る道路が現れだします。
国道標識(通称おにぎり)も、白味が強くかかった緑色の苔が標識をはびこってガードレールも苔で覆われています。
一見するとカビがびっしりと標識を覆っている様に見えます。
森林道をくぐり抜けると二車線の広い道路に一時的に出て、ここから下腹旧道のワインディングした一部を見下ろすことができるのです。

秘境を走る旧道国道から別の旧国道を上から見下ろしたことは、今回が初めての体験でした。
上から俯瞰してみると、とんでもないところを走っているのだと改めて実感できるのです。
車で走ることのできる僅かな山肌の斜面を道路として作られていることがわかります。この景観、紀伊半島の過酷な酷道を彷彿とさせられます。

ここを出るとすぐに下腹旧道へと合流する地点に出て、3つのR140のなかで最も秘境道の味を出している道の入り口が現れます。
先程、中腹旧道から見下ろして確認した旧道です。
入り口を確認すると、迂回促進標識や警告標識が見あたりません。
この旧道を入ると、新道R140へ抜けるまで景色が開けることのない狭い鬱蒼とした森の中の1車線を走ることになります。
すれ違う車はありません。R140の交通量を割合で表すと新道R140が9.9割、中腹R140が0.1割、下腹R140がほぼ0といったように感じます。
滝の落ちる音や水が弾けている音も聞こえず静かな秘境道を走っているといった印象です。
舗装は意外と整備が届いたことが以外なところでしょうか。
ただ単に山奥という条件だけで、厳密さを考慮しなければ国道425号線と同じような地形を走っているのではありますが、R425のような酷さは全く感じられません。

奥秩父を走る3つのR140号線は地図や景観から見るととんでもない国道のように思われがちですが、2017年8月の時点においては過酷な環境を流れる傷んだ道路といった印象はありません。
秘境の道を少しだけ覗いてみたいと感じているのであれば奥秩父旧R140をなぞってみてもいいかもしれないですね。

県道278号線 三峯神社

「やまとたける」を聞いたことはあるでしょう。
弥生や奈良朝よりも以前の神話の世界の時のことです。
どうやら「やまとたける」は東征を行っている中、ここ秩父に訪れたようです。

これは完全に神話の世界でしょう。
そもそも人間同士が争った形跡や、西日本から東日本へと抜けるような道が出来上がるのは弥生時代以降のことです。
縄文時代は豪族などの地方勢力はなく、集落の人々は定住せずに食物を求めて移動していた時代です。
領土という概念が無い時代です。
このあたりで日本史のお話はさておき、古くからこの地にお寺が存在したようで多くの観光客がこの奥秩父の中でも奥にある寺に訪れます。
そのため、お寺に通じる県道278号は交通の量が大変多いのです。

三峯神社が観光地として知るのは今回の奥秩父探索後のことで、まさかこんな山奥に観光地があるとは思っていません。
さて、秩父湖からこの県道が始まるのですが、驚いたことに信号が5分たっても変わらないのです。
ダムの方面からも、前方からも車は一向にやって来ません。
一体なぜこんなにも待たせるのだろう。
そう思っている中、信号機の横になにやら注意書きがあります。
「この信号は待機時間を長めに設定をしています」といったことが書かれてあります。
理由はこの時全くわからぬままでした。
やがて信号機が変わり、秩父湖を渡ると大勢の車が降りてきて県道278号線の信号機で待機しています。
信号の待機時間を長く設定している理由がこの時分かります。
秩父湖の対岸の県道278号線から国道140号線へと戻ってくる車が多く、秩父湖を跨ぐ一車線の二瀬ダム天端を一時的に一方通行にするためでした。
それにしても、交通量が多すぎます。その中には観光バスも混ざっています。
この時に混乱したことを覚えています。
なぜこんなとこに観光バスが通っているのか。それにこの交通の多さは一体何なのか。
やがて市バスも現れ、カーブでの離合困難のためちょっとした渋滞が発生します。
交通量に関しては全くの想定外で、三峯神社へたどり着くまで終始車の往来が賑やかでした。
三峯神社の駐車場へ到着したものの、あまりの人の多さに三峯神社へ赴く気が失せてしまいました。
三峯神社へと赴くのをあきらめて駐車場を過ぎると、その駐車場の脇には魅惑の「この先林道」という標識が立っています。
県道278号線はここで終点です。
ここまでの道のりは、二瀬ダム天端を除くと完全2車線であり、舗装も全て行き届いており、危険な道ではありません。誰もが気軽に通ることのできる道でしょう。
ここからは大血川林道線の始まりです。
この先は奥秩父の更に奥の世界。待ち望んだ本物の奥秩父へと入って行きます。

大血川林道 大陽寺

物騒な通行止めの標識が中央に備え付けられている黄色と黒色の縞模様の警告ゲートが縦にあがっています。
今現在どうやらこの先の道は、普通に走る分には支障をきたすほどの損傷を受けていないようです。

ただ、ここは険しい山々の山麓に位置している地域の名称に"奥"という荘厳さを表す漢字があてがわれている地域。
その地の表には出ることのない自然の神域が展開されている世界です。
警告ゲートが開かれているといっても油断はならないのです。

奈良県の奥吉野地区からの見解ではありますが、自然の機嫌が悪ければ無論、人工物はその影響を受けるでしょうし、大荒れすれば大破は免れないでしょう。
台風が通過した後など殆どの場合、傷後が生々しく表面に残ります。
いや、表面だけではありません。表面の裏では山全体が溜め込んでいるものもあります。
大きなものとして雨水でしょう。
雨水により道路を支える土台が緩み土砂崩れにより道がなくなってしまうこともあります。

そのような環境下に置かれている林道がゲートを開いて訪問者を受け入れる姿勢を見せています。
奥秩父の深部を走るこの林道はどのようなものなのか、車を進めずにはいられません。

今から入る道は、大血川林道と命名されているようです。
名称最初見た限りでは良いとは思えません。
ここは険しい山奥にある林道なのですから危険な匂いのするものには非常に敏感になっています。
大血川を危険な方向へ連想してしまうのです。
その名の由来は、この行路で後に立ち寄ることになる大陽寺の歴史が鎌倉までに遡ることを知ってから判明することになります。

さて、いよいよゲートを潜り奥秩父の林道の世界へと入っていきます。
舗装の行き届いたアスファルトの路肩に枯草がところどころ道路に被さっています。
左右は共に景色は開かず、動物や鳥の気配は感じられません。
入り口から入って10分ほど、危険な香りはまだ察知されません。
そのまま道を進めるとトンネルが見えてきます。
素掘りだろうと想定していましたが、驚いたことに整備の行き届いている一般国道のトンネルと同じ姿をしたトンネルが現れたのです。
これは、初めての経験でした。このような大山塊のそれも林道でこれほどの規格のトンネルをはじめて見たのです。

トンネルを抜けると、トンネルを入る前の世界とはまるで別世界の空間が待ち構えていたのです。
左側の山景が真っ白で何も見えません。白一色の世界です。
どうやら雲の中に入り込んでしまったようです。
雲の中にある林道を走るなど想定には入れてません。想像すらしていません。
もし、この奥秩父の雲に包まれた林道を想像だけの世界で終わらせていたら、恐ろしくて立ち入りすることもしていなかったでしょう。
ただ、急遽出現した雲の中の林道。
直感的に危険ではないと判断しこのまま道を進めることにしたのです。
想像だけでは決して体験することのなかったであろう世界を体感しているのです。

このまま雲の中の林道の行路を進める中、道は雲に覆われていることに変わりはありませんが徐々に路肩に落石が見受けられるようになります。
時折、道路の中央には大きくて握りこぶし程度の落石はありますが、通行を妨げる大きな落石はありません。
路肩にはサッカーボールほどの落石がありましたが、そのような大きさのものは全て路肩に転がっています。
今走っている所が、自然に包まれていることを実感できる大きな要素の一つです。
落石には注意しつつ、予想以上の走りやすさに驚きながらトンネルを抜けてからずっと下っています。

現在地を見てみると、秩父山塊で車で到達可能である最南端に居ることを確認できました。
国道140号線は随分と北側にあります。
後々気づいたことではありますが、この最南端。
奥多摩町の日原鍾乳洞と山一つ隔てたところにあることがわかりました。
もしこの最南端地点と日原が道一つで繋がっていたら、わたしは日原まで出てそこからあきる野まで南下し都内へと帰路についていたことでしょう。
ただ、そのような道は存在しませんのでここは想像の世界で走らせるしかありません。
帰路は秩父市街地まで降りなければならないのです。

このような山深く、如何にも仙境めいたところにただ一つ建つ建物があります。
道路から、左手にやや色彩がなくなりかけている朱色の屋根をした建物が見えました。
道路からは少し離れており、しばらく進んでも入り口らしき枝道も見あたりません。
この建物は、大陽寺というお寺であることは調査済みでしたが入り口がどこにあるかはわからないままでした。

やがて眼前に大きな山が立ちはだかる広場のようなところに出ると、その背後に大陽寺への入り口が見えたのです。
入り口を入り、2分ほどすると古色を帯びた木材で建てられている大陽寺が目の前で確認できます。
周りの木々を確認すると大人二人から三人分が囲む程の太さの木がそびえています。写経をしている宿泊客もおり、清水寺の様な懸造の建物もあります。
お寺の解説札を呼んでみると起源は鎌倉時代にまで遡るようです。
大陽寺の探索は、今回の奥秩父探索の目的には入れていないので眺める程度に収めてお寺を後にしました。

大血川林道を入った時点から随分と下り、先程の雲の世界もいつの間にか消えており、どうやら下界の世界が近いようです。
ここから先もずっと下りの道です。
路肩に転がる大きな落石はところどころ見受けられましたが、雲の世界に比べると少なく、ガードレールや路面の状態も綺麗になり、徐々に人里の境界に近づいてきたということがわかります。
車もすれ違わないため快走林道といって良いかもしれません。

快走林道も10分ほど走ると奥秩父の探索もこれで終演となり、R140号線と合流します。
この瞬間、奥秩父探索の目的が全て果たされました。
自宅へ戻って再度地図を広げるまではそう思っていたのです。

本日走った道を地図でなぞると先ほど「国道140号線 3つのR140」のテーマで書きましたように見逃していた所があったのです。
八丁峠、山吹トンネルの存在でした。
県道210号線の存在は調査済みでしたが、まさかその先に八丁峠、山吹トンネルとなるものが存在していたことは不覚にも見逃していたのです。
行き止まりが待ち受ける単なる県道であると思っていたのです。

舗装を保った道で、車で到達可能な奥秩父の道路はこれで達成したかと思った矢先のことでしたので不完全燃焼さが素直に受け入れられずにいます。
ただ、今回の探索目的は達成され、奥秩父の世界を感じることが出来ましたので計画は無事達成できたとしておきましょう。
最北端の八丁峠への探索レポートは、他の好奇心のあるロードスターオーナーに託すとします。